映画監督の園子温さんが5月27日、東京丸の内の外国特派員協会で開いた記者会見で、裁判の判決文について「(主文以外は)あとがき感想文みたいなところ」と述べたことが、ちょっとした物議を呼んでいます。
●主文以外は「法的効力がない」とも発言している
『愛のむきだし』などで知られる園さんの発言は、俳優の松崎悠希さんを名誉毀損で訴えた裁判の判決文をめぐって、記者から質問が上がり、園さんがそれに答えるかたちで持論を展開したものです。
この裁判では、松崎さんの名誉毀損を認めて損害賠償の支払いが命じられていますが、判決文(松崎さんが公開しています)には次のように記されています。
「原告が監督と新人女優という立場が明らかになっている状況で、複数の女優に対して性的行為を要求する文面のメッセージを送信していたことは真実であることが認められる」
園さんは記者会見の当日、YouTubeチャンネルを開設し、配信した動画の中でも、判決文の主文以外には「法的効力がない」という発言をしています。
では、本当に判決文の主文以外は「あとがき感想文」みたいなものなのでしょうか。そして、裁判所はなぜ判決文の中で、このような「認定」をしたのでしょうか。簡単に解説します。
●「判決の主文」は映画の本編、という例えはよいのか?
園さんは、YouTubeチャンネルの動画内でも、判決文を映画に例えたうえで「映画ではメイキングとかそういうものを抜いた本文のことを指すのが主文」と発言しています。
しかし、この「たとえ」にはかなり無理があるように思います。
この発言だと、映画本編=主文、メイキング=その他の記載、となりそうです。
しかし、判決文の主文というのは、判決文の中では非常に短い、ごく一部分なのです。
判決主文とは、たとえば「原告は被告に◯万円支払え」などの結論的なことを述べている最初の数行だけの部分です。
そもそも映画に例えることにはかなりの無理がありますが、無理矢理例えるなら、映画の最終場面からエンディングまでの一部分だけが主文で、他が理由の部分というほうがまだ適切であるように思います。
判決「主文」の例(弁護士ドットコムニュース編集部作成)
●「法的効力」が「既判力」という意味ならば正しい
園さんは、主文以外には「法的効力がない」と言っています。ここでいう「法的効力」が「既判力」という意味であるならば、その限りでは、園さんが言っていることは正しいといえます。民事訴訟法では次のように定められています。
(既判力の範囲) 114条 確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する。
「既判力」というのは、簡単にいえば「あとに同じような争いが起こったときに、今回の判決に反するような判断はできない」という効力のことです。
この「反するような判断ができない」範囲が、「主文に包含するもの」に限られる、という意味で、「既判力は判決主文にしか及ばない」といわれます。
後の裁判所が、判決文の主文以外の部分に記載されている内容と矛盾する判断をおこなったとしても、ただちに違法になったりするわけではありません(ただし、この点をめぐっては、さまざまな法的議論があります)。
●判決理由にはちゃんとした「意味」がある
園さんは判決文の主文以外の部分は「あとがき感想文」だと主張しています。
仮にそうであるならば、判決文の主文以外の部分には、ほとんど意味がないように思えますが、実際は、判決文の主文以外の部分にも、もちろん、ちゃんとした意味があります。
先にも述べたように、判決主文はあくまでも「原告は被告に◯万円支払え」などの結論部分だけです。
そのほかの部分には、主に裁判所が主文の結論を下した理由が書かれています。
たとえば、「原告は◯◯という主張をしていて、被告は✕✕と反論をしているが、裁判所は△△の証拠に基づいて、〜〜の事実を認定した結果、**の判断をした」というようなものです。
園さんは「控訴を考えている」と話しています。法律でも、一審の判決に対して不服がある場合、控訴をすることができるとされています(民事訴訟法281条1項)。
この「不服」はもちろん判決の結論(主文)に対するものではありますが、なぜその結論に至ったのかという裁判所の判断に対して、その不備を指摘して争うことになります。
そのために、控訴すれば、控訴理由書を書いて高等裁判所に提出します。
この控訴理由書では、一審の事実認定や法律判断の誤りなどを記載し、一審の誤りを主張することになります。
控訴する人は、何を見て一審の誤りを検討するのでしょうか。
そうです。判決文の「主文以外の部分」で、裁判所がどのように判断しているかを確認して控訴理由書を書くのです。
主文しかない判決文だと、裁判所が何をどう判断したのかが全然わかりませんから、一審の判断が誤りかどうかも検討できないことになります。
なお、裁判所が判決文に「主文以外の判決理由」をまったく書かなかった場合、上告理由になります(民事訴訟法312条2項6号)。つまり、この理由部分は、法的にも書かなければならない部分なのです。
●なぜ「判決文」の中に問題となった記載がされたのか
園さんの会見では「原告が監督と新人女優という立場が明らかになっている状況で、複数の女優に対して性的行為を要求する文面のメッセージを送信していたこと、原告が自身を性的な関係を有した女優を映画に出演させていたことは真実であることが認められる」と判決文の中で記されていたことについて、見解を問う質問があがっています。
裁判の争点が「ワークショップ」における性被害であるとすれば、問題となっているワークショップ以外の場面での性的行為の要求は、争点とは少し遠い話であるようにも思えます。
なぜ、判決文の中にこのような言葉が書かれたのでしょうか。
そもそも、名誉毀損の裁判では、被告による事実の摘示が違法かどうか争われます。そして、次の(1)〜(3)を満たせば、違法性がないとされています。
(1)被告が摘示した事実が「公共の利害に関する事実」であること
(2)その事実を摘示した「目的がもっぱら公益を図ることにあった」こと
(3)摘示された事実が重要な部分について「真実であることの証明」があること
また、真実であることの証明に失敗した場合も、被告が摘示した事実を真実であると信じることについて相当な理由がある場合、(故意や過失が否定されて)名誉毀損にはならないとされます。
今回のケースで、被告が公開している「判決文」を読むと、裁判所は、被告の投稿の意味内容は、前段が、被告の知人がワークショップに参加したことを契機として、性的行為を要求されたという趣旨であり、後段は、原告が同様の手段を用いて複数人に対して性的行為を要求したという事実を摘示するものと解釈しています(判決文P6)。
裁判所は、この被告が摘示した事実が「真実」かどうかを判断するために、被害申告者等の供述を検討する必要があると判断したのでしょう。
結果として、「原告が、映画監督という立場が明らかな状況において、若手女優という立場の女性複数人に対して性的な行為を要求する文面のメッセージを送信したことなどは認められるものの、ワークショップを通じて知り合った女性に対し、その立場を利用して、性的行為を要求していたとまでは認められず」、投稿の重要部分の真実性の証明はできていないとしています。
つまり、問題となっている部分は、被告の摘示した事実が真実かどうかを検討する中での記載であり、裁判所としては「真実性の証明はここまでしかできていない」、だから重要部分の真実性の証明はない、と示すために必要な記載だと考えたのでしょう。
どこまで証明ができていて、どこまでできていないか、ということは、先にご説明した名誉毀損が成立しない「相当な理由」があるかどうかの判断などにも関係しそうですから、その意味でも裁判所としてはこの記載が必要と考えたのだと思われます。
園さんとしては、結論としての「22万円」などの一部認容判決に不服があれば、当然、控訴できます。その際、結論の前提となった判断の不当性も主張していくことになるでしょう。